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山寺の方丈さん雑記

平成25年12月30日 年窮歳尽(ねんきゅうさいじん)を明日に控えて
  歳の瀬もいよいよ押しつまり気忙しい思いで皆さまお過ごしのことと存じます。

  この一年長谷寺でもいろいろなことがあり、忘れられないことがたくさんあります。中でもコ一さまのご供養塔「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」の建立と参道拡幅工事にともなうご寄付のお願いの件であります。

  当山の寺史顧問でありました東北大学名誉教授・橋富雄博士の急逝により「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」の完成を一年延期といたしましたが、参道拡幅工事は来年1月末日には完成の予定です。

  多くの檀信徒の皆さまからお寄せいただきましたご浄財に対し厚く御礼申し上げます。

  ことしホームページの変更は3月12日の1回でした。来年は怠りなく努力してまいります。寒さが一段と厳しく思われますが、皆さま呉れぐれもお体を大切に佳き新年をお迎え下さい。
合掌

             
                  
 
        宝篋印塔(ほうきょういんとう)工事中!              参道拡幅工事中!
      平成25年12月30日現在          平成26年1月末日竣工予定




平成25年3月12日 土屋家のムツゴロウさん
  平成25年3月3日、長谷寺の諸行事にご奉仕を賜った元地区委員の土屋吉雄氏が92歳の天寿を全うされ亡くなりました。ご遺族から生前のエピソードを教えていただいて、吉雄氏の素晴らしいお人柄に改めて心温まる思いをしました。

  お孫さんたちを可愛がり、お孫さんたちの心の中にはおじいちゃんの思い出がたくさん残されました。散歩の帰りは必ずコンビニでお菓子を買ってくれたこと。習い事はバイクで送り迎え。近くのハワイアンズにもおんぶして連れてゆき、お孫さんが飽きるまで何度も通われた。夜泣きするお孫さんをおんぶして真夜中の町を歩いていたら、警察官に注意されてしまったこと。小さなお孫さんと演歌を歌ったり、ハーモニカを吹いたりして遊んでくれたこと。時にはアッと驚くほどの運動神経を披露し、お孫さんたちのヒーローになったこともありました。小学校の体育館の中を逆立ちで一周されたそうです。また、聾唖者の方と話をしたいと思ったら、すぐさま手話を勉強して頑張りました。

  人を思いやる優しいお人柄は動物たちにも注がれました。吉雄氏の周りには犬、猫、ニワトリ、ウリボウ等が年中居て、まるでムツゴロウさんのようだったそうです。ある冬の日、氷の張った池では金魚も寒かろうとバケツに移して家の中に入れてやったら、猫が食べてしまって落ち込んでしまった吉雄氏。いつの間にか吉雄氏の傍に寄ってきたカラスを可愛がると、バイクのハンドルにつかまってご主人さまの出勤にお供をしていたカラスくん。ある日、集団のカラスに襲われて死んでしまい、泣き続けた吉雄氏。

  お観音さまのみ心をそのままに多くの人に優しさと明るさを降り注がれた吉雄氏は、最愛のご家族の温かい介護の中で安らかに息を引き取りました。

         
                  
( `д´) ケッ!






平成24年12月31日 ごあいさつ
  ことしは東日本大震災の被害を受けた諸々の復旧の為、あわただしく時が過ぎていきました。

  建造物の復旧とともに多くの方々の心のケアが課題の年でありました。ホームページの更新もままならぬ多忙なまま年窮歳尽(ねんきゅうさいじん)を迎えます。

  新しい年は皆々さまにとって平穏で幸多き年でありますことを、切に祈念申し上げます。
合掌

              
                  









平成24年7月18日 あきれた話といい話
  7月16日の毎日新聞、みんなの広場に掲載された「駅でのあきれた話といい話」を読んで、山寺の方丈さんも最近、同じような思いをしましたので敢えて申し上げることにしました。

  東京在住の檀家さんが去る4月26日病没。4月30日に荼毘(だび)にふされ5月2日に下記のイラストのように宅配便にて長谷寺にお遺骨が届けられました。奥さまから電話にてお遺骨が届くことは承知しながらも、いざその場に直面しますと心はおだやかならず
開山(かいさん)以来のことでしたので涙を浮かべながら観音経を読経し、一時納骨堂にてお預かりとなりました。


  話はかわって去る6月24日(日)、H家にて年忌法要をされた折り参詣者の中に、当家の愛娘であるRちゃんがおりました。中学1年の女の子です。

  かねてよりRちゃんは幼いころから、家庭の躾が良いからかやさしい感じのとてもよい女の子でした。

  この3月に小学校を卒業した時のことです。自宅がある湯ノ岳の麓の小野田から長倉小学校までバス通学でした。この路線バスは利用者が少ないことから、市からの補助金によりなんとか維持され運行されているコースです。

  毎日、朝7時過ぎに小野田バス停を発車、乗客は小学生3人と当寺の女性スタッフOさんの計4人です。

  Oさん云わく、バス通学の小学生に礼儀正しい女の子がいます・・・・・・。低学年の二人の子の面倒見が大変いいんです・・・・・・。毎日、きちんと挨拶をしてくれます・・・・・・。このようなことを山寺の方丈さんに常々話していました。

  何とこの礼儀正しい女の子は先に述べましたH檀家さんの愛娘でした。

  3月の小学校への最後のバスの中で、礼儀正しい女の子は同乗者の当寺スタッフのOさんに向って深々と頭を下げて「長い間、お世話になりありがとうございました。あとの二人をよろしくお願いします」といってバスを降りたとか・・・・・・。

  くだんのOさん大感激でした!

  後日、その礼儀正しい女の子は当寺の檀家さんであるH家のお嬢さんであることが判明!山寺の方丈さん去る6月24日(日)にその女の子にお会い出来て今までのいやなこと全てがリセットされてお満足でありました。


        








平成24年4月18日 大震災の思いで その2
  3.11大震災勃発後、しばらく情報が混乱する中で、3月13日、午後0時54分着信の一通のメールがありました。「ご無事ですか!?」

  なんとアメリカのロサンゼルスからでは有りませんか!山寺の方丈さん、メールを始めてから国外からの受信は第1号となり大感激!!

  大地震と原発事故により気持ちが滅入っているだけに遠くアメリカ在住の方からのお見舞いメールは大変ありがたく大きな励みとなりました。

  発信された方は当寺の檀家さんで東京在住の紺野徹さんの姉上、鈴村淳子さまでアメリカでオンラインショップを営んでおられ、大震災前の暮れに初孫がお生まれになって家族の皆さまもアメリカに定住されております。

  翌3月14日7:06のメールでは「炉心の凍結方法も含めて各国が物資などの支援を申し込んでいるのですが、日本政府からは支援の要請がないと、アメリカでは報道されています」。との内容には驚きました。

  国内情報より早く的確な報道がなされていることに驚きました。更に実家の紺野家の墓石の状況やご親戚の方々の安否、それに長谷寺に対する思い等が綴られて四季のうつろいのある日本への思いが汲みとれて、お見舞いのことばが一層身にしみた山寺の方丈さんでした。

  それにしても遠く離れたアメリカにおられる方と瞬時にメールのやりとりが出来ることと、情報が世界をかけめぐる現代IT世界の進展は山寺の方丈さんの頭が、かなりゆすられる(●●●●●)(quake)程大きな、大きな思い出の一つとなっております。

追記・・・メール直後に長谷寺口座に亡きご両親さまのご供養とお見舞金が2度にわたり
     振り込まれました。円高の折り感謝!感謝!

            










平成24年4月5日 大震災の思いで その1
  3.11大震災をうけて東電の原発事故が発生し、放射性物質の大気汚染と言う最悪事態になりました。寺域周辺はその得体の知れない危険を避けるため、遠方へ避難された方が多く、町内は閑散としていました。恐ろしい何かがやって来る時の恐怖映画の一場面の様でした。その様なパニックの中、震災の翌日から午前中だけとは言え、患者さんを受け入れた医院が湯本町にありました。比佐哲哉院長を中心に、スタッフ8名の比佐医院です!

  思えば先代の重信院長が大震災前の暮れに亡くなられ、その先代院長の生前からの要望で当寺の檀家さんとなられました。震災当時、先代院長の百ヶ日忌をも迎えていない状況のもと、先代院長の時代から長年勤められている看護師さんを含む医療スタッフの皆さんのチームワークが1つとなって、「博愛」(医は仁術なり)の先代の心をそのまま受けつがれた比佐医院の診療は続いていました。比佐医院が日頃、いかなる姿勢で地域住民に対し、医療業務を行っていたか、真の姿勢が大変よく伝わって、胸を熱くしたものです。

  スタッフの皆さん!ほんとうにご苦労さまでした。有りがとうございました!山寺の和尚さんも患者を代表して心より感謝申し上げます。

            

  震災後、まもなくして絵のような白衣姿で「お変わりありませんか?」といって来寺された哲哉先生。

  これには山寺の和尚さん大感激!

  午後は毎日避難所を廻られて避難者の健康をフォローされておられました。

                 先代院長重信先生のご遺影↓
  診察室には先代の院長・比佐重信先生のご遺影があります。亡き後もスタッフの皆さまと一緒におられるような感じがいたします。








平成24年3月28日 ホームページ中断のお詫び
  3.11と4.11の大震災に遭遇以来、一年余ホームページの更新をしませんでした。大変申し訳なく思っております。

  元民主党代表・小沢一郎氏の元秘書で石川智裕衆議院議員の著書「悪党」の中に、商社マンが取引の相手方にご迷惑をおかけしたお詫びのしるしに「
切腹最中」なる和菓子を持参して謝罪する旨の内容が紹介されておりました。「悪党」なる本の内容を覚えてなくとも、東京新橋に「切腹最中」の和菓子店があることだけは、くいしんぼうの山寺の和尚さんの頭に入っていました。

  ことしの2月、檀家さんのご子息が東京で結婚式をあげられたとのご挨拶をいただき、そのおめでたいお祝い帰りのお土産がなんと彼の「
切腹最中」ではありませんか!?

  山寺の和尚さん、目を白黒させながらもここは一番と「
切腹最中」をご本尊のお観音さまにお供えし、ちゃっかりホームページの件でお観音さまにお詫びさせていただきました。(一寸、すじが違うかも!)

  禅宗のお坊さまには謝罪法があって、それにともなう所作があります。大切なお袈裟がお拝の時に地に着かないように坐具(ざぐ)という敷物を用います。坐具を折らないで全てひろげた状態にしてお袈裟を着けて三拝(さんぱい)する作法が大展懺謝(だいてんさんじゃ)という一番丁重な謝罪作法です。

  山寺の和尚さんはご本尊のお観音さまに「切腹最中」をお供えして如法(にょほう)大展懺謝(だいてんさんじゃ)して、お観音さまに一年間ホームページの更新をしないことを深くお詫びいたした次第です。

             

大展懺謝(だいてんさんじゃ)のお作法〕
@坐具(ざぐ)を全て()べて立つ



A全て()べた坐具上(ざぐじょう)にひざまずき



B坐具上(ざぐじょう)にて五体投地(ごたいとうち)(両手、両膝、額を地につけるお拝)にて三拝する










平成23年2月21日 山寺の方丈さん、初めて恵方巻きを食べる!
  「節分の日に恵方巻きを食べると幸運をもたらす」と云う恵方巻きなる食品の存在を今年の1月末、初めて知った山寺の方丈さん。

  無知のかたまりである山寺の方丈さんのためを思って長谷寺スタッフの知人からこの2月3日、極上の「恵方巻き」を頂戴。

  小名浜の和風レストラン謹製とかで「あなご、マグロ、カニ、エビ、卵焼き、干ぴょう、きゅうり」等の7種類の具材の入った超豪華版。この日は当山の節分・大般若会の大行事のため生(なま)ものと云うことから冷蔵庫に一時保管となりました。

  翌日、頂戴した恵方巻きをご本尊のお観音さまにお供えしご回向の後、そのおさがりを点心(てんじん)にてスタッフ共々、美味しく頂戴。今年の恵方神は南南東と云うことでその方角に向かって笑顔にて食べることがお作法とのことですが、当山のご本尊さまはお観音さまですのでお観音さまの方に向かって恭しく頂戴しました。

  恵方神は陰陽道(おんみょうどう)の神様で仏教にも取り入れられて歳徳神(としとくじん)として祀られます。

  最近、山寺の方丈さん思いますことは日本人の精神的電子回路はすばらしい!と思うようになりました。

  インド古来の神、大黒尊天が日本古来の神、大国主神として、更に仏法守護神である牛頭天王(ごずてんのう)が素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一視されるなど仏教の天部の神々が神道の神々になっていくことになんら抵抗がない歴史の流れを誠に不思議に思います。

  バレンタインデーも日本では昭和30年代半ばより流行し、菓子業界にとって大きな経済効果をもたらすことは周知の通りです。山寺の方丈さんもこの2月14日、女性スタッフより「ぎりチョコ」を頂いてご満足。

  このような日本人の宗教儀式を伴なわない表面的行為に終わることに異を唱える方もおられますが、山寺の方丈さんもかつては日本人の宗教感覚の「あいまいさ」に不満を多少持っておりました。加齢にともない、それらは日本人の良き特性と思えるようになったことは不思議です。檀家さん方のお考えを是非お聞かせ下さいませ。

           


お観音さまのご慈悲にて2月14日チョコレートを頂きました    2月4日、初めて恵方巻きを頂きました。
                                        なむ大悲観世音!










平成23年1月20日 文化財防火デーに関わる常磐消防署の立入査察・行われる!
  昭和24年1月26日、奈良・法隆寺金堂壁画の焼失に因み、文化財防火デーが設けられたことから当長谷寺も1月20日、山寺の方丈さんと齋藤総代長が立会いのもと午後2時から常磐消防署の立入査察が実施されました。

  この消防署の査察に先だちこの1月15日に拠村電気工事を通して坂本防災により消火器、火災報知機、防犯センサー等のメンテナンスをしておりましたことから、立入査察は異状無しの通知書を鈴木茂消防司令補よりいただき、午後2時40分査察は何事もなく終了し山寺の方丈さんも一安心したところです。

            


火災報知機の作動確認            常磐消防署による査察


消火器の台数及び所定の位置の確認










平成23年1月16日 初雪にうす化粧の境内!
  1月15日夜半から16日未明にかけて長谷寺境内は初雪となりました。積雪は1〜2センチ程で参道、駐車場は積雪がなく寺域全体が初雪にて薄化粧といった光景です。(写真)

  朝は昨日より一段と冷えて境内は本当に静寂そのものでカラスさんも小鳥さんもこの寒さのダメージが大きく、ご休息されているからでしょうか?

  長谷寺本堂前に参道階段があります。段数はお観音さまのご縁日に因み18段ほどあります。何故かこの階段だけ雪がわずかに積もり、早朝に毎日ご参詣される3名の靴跡がありました。思わず山寺の方丈さんいつもの感激にしばし浸されご満足!この寒さの中、お参りされた皆さまにお観音さまの更なるご加護がありますよう祈念させていただいた次第です。

           


      初雪の境内(16日早朝)       うっすらと雪化粧・中央に湯ノ岳が見えます


       屋根にのみ積雪有り               境内東司付近の初雪









平成23年1月12日 寒牡丹の花を見つめて思うこと!
  新年あけましておめでとうございます。この一年、皆さまにとりまして「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」でありますよう祈念いたします。

  毎年暮れになると小田原市に隣接する南足柄市にある曹洞宗の天王院(てんのういん)さまから寒牡丹の鉢物が届き、新年にはきれいな花を咲かせます。(写真@)

  今朝(1月12日には)がこの冬一番、寒く感じましたが庫院玄関にある鉢植えの寒牡丹は二輪の花を咲かせ来客の方々の心を和ませています。

  牡丹の花は本来5月に入って咲きだすのですが(写真A)栽培者の研究と努力にて真冬でも花を咲かせる術を取得しているからと考えます。

  冬に花を咲かせたいと云う人間のわがままからお花にとってこれ以上の迷惑はないのでしょうが、寒牡丹にとって迷惑を迷惑とさえ覚えず人間をうらむこともなく寒苦に堪えて只、ひたすら花を咲かせます。

  そして逆境にさからわず花を咲かせる自然の力にただ感服するばかりです。人生もかくの如くあらねばと山寺の方丈さん年頭より心に深く思っております。

             


   写真@ 天王院さまからの寒牡丹


   写真A 長谷寺境内にある牡丹、5月中旬頃、見頃になります









平成22年12月31日 『美しき日本人のこころ』
  長谷寺境内に「一休さん型」の石像があります。この石像は昨年、ある石材店の依頼により檀家さんの石塔と墓誌に刻む文字を拙いながら書いてあげたお礼にいただいたものです。

  この暮れに石像の頭上に毛糸の帽子が被せられ、ちょっとほほえましい姿となりました(写真)。

  帽子のサイズから既製品ではなく、手造りのものです。どなたがお供えされたか分かりませんが、少しでも寒さよけにと願って石像の頭に帽子をかぶせてあげる、その心づくしの美しさに山寺の方丈さん大感激!

  この一年、悲しい事件が沢山発生する中でこのような思いやりのある方がおられる以上、日本はまだまだ大丈夫と云う思いを新たにしました。

  このことと同時に「笠地蔵」のおとぎ話が重なってきます。暮れの雪降る日に六体のお地蔵さまに売れ残った五つの笠をかぶせてあげ、更に自分のかぶっている笠を残りのお地蔵さまに差し上げ、無一物となったおじいさんのお家へその夜半、笠をいただいた六体のお地蔵さまからお礼の品が贈られ佳きお正月が迎えられたと云うお話です。

  石像に毛糸で編んだ手造りの帽子と笠地蔵さまのおじいさんとが重なって日本人の心の底に流れている心の美しさを垣間みる思いがいたします。笠地蔵さまのおじいさんの見返りを求めず、ただひらすら無心の布施行がめぐりめぐっておじいさんに幸せをもたらされたように、皆さまにとって来年はすばらしい年でありますことを祈念いたします。


           











平成22年9月11日(土) 「亡きおじいちゃん」へのお別れのことば
  9月11日、12:30開式で某斎場において檀家さんの葬儀・告別式がありました。亡くなられたおじいちゃんは大正11年お生まれで享年89才でこの6月に体調を崩すまではいたって元気なお方でした。このご家庭は祖父母、両親、そして孫娘のA.S.嬢(24才)の三世代同居のおうちです。

  亡きおじいちゃんは90才近い高齢者ですので、同年代の友人は既に他界されていることから告別式では孫娘のA.S.嬢が亡きおじいちゃんへのお別れの言葉を述べました(下記参照)。亡きおじいちゃんとの良き思い出と感謝のことばが綴られています。

  山寺の方丈さん思いますに亡き祖父の告別式にお孫さまからこのようなお別れのことばを述べていただけて、亡きおじいちゃんは大満足して「みほとけ」さまの世界へと歩まれて行かれたことでしょう。

  更にこのようなお孫さまがこの世におられることがすばらしいことです。現在、当寺の檀家さんのご家庭では三世代、四世代同居のご家庭は少数です。最近、世の中の家庭内の歯車がかみ合わず事件にまでなってしまう悲しい状況の多い中で、この度の亡きおじいちゃんへの孫娘さんからのお別れのことばは山寺の方丈さんの心に大きく浸みわたった一日でした。



じいちゃんへ

  今日は悲しいお別れになります。
いつかこんな日が来るとは思っていたけど、こんなに早いとは思いもしませんでした。100歳くらいは生きてくれるだろうと容易に思っていた自分が悔やまれてなりません。

  幼い頃から、友達とケンカをしてもじいちゃんが木刀でやっつけてきてやると、子供の私がじいちゃんをとめにはいる程、血気盛んで、正義感があり、心配性なじいちゃん。

  両親が仕事で家をあける時は、何かあったらじいちゃんを呼べと、寝る前に必ず言ってくれました。それは、私が大人になった今でもかわらず、つい最近まで言ってくれましたね。

  学校の忘れ物を毎回自転車で届けてくれてありがとう。
さすがに授業中の教室まで持ってきてくれるのは恥ずかしかったけれど、小学校、中学校でも人気者だったよ。
教室の窓から、じいちゃんの自転車が見えると、クラスのみんなに、Sのじいちゃんが来たぞとからかわれました。でも、そんなじいちゃんが自慢でした。
上り坂だって、車を追い越すほどの、すごい速さで自転車をこいで届けてくれました。

  とても明るく、孫に甘い、じいちゃん。

  お酒が好きで、80歳を過ぎたって、平気で日付が変わってから帰ってきたね。
カラオケが大好きで96点を出したと何度もうれしそうに話を聞かせてくれたね。戦争のこと、炭鉱時代のことたくさん聞かせてくれたね。どれも、驚く話で、たくさん危険な場面があっても全部乗り越えてきたんでしょ。今回は、ちょっと過ごすぎたのかな。

  いつも強くて、明るくて、やさしくて、豪快で、きれい好きで、面倒みがよくて、みんなに頼りにされていたじいちゃん。

  孫らしい孝行を何一つ出来なかったことを悔やんでいます。
いつも、ばあちゃんのこと、家族のこと、親戚のこと、家のこと、仲間のことを気にかけていたじいちゃん。
きっと横たわっている今でも心配しているだろうね。
じいちゃんの心配なことは私たちがちゃんとやるから安心してください。

  そちらで、家族と仲間といつものように、お酒をのんで、いきつけの店をたくさんつくって楽しんでください。
どうやら私もじいちゃんと同じく美味しくお酒を飲める血が流れているようなので、次に会う時は一緒に飲みましょう。
カラオケも96点以上出せるようにたくさん歌ってください。

  じいちゃん、長い間お疲れさまでした。
今までありがとう。
さようなら。
                                              合掌
                                 平成22年9月11日 A.S.


  告別式の中で亡きおじいちゃんが生前好きであった曲がシンセサイザーによって演奏されました。献奏中、思い出の映像が写し出された写真の一枚に絵のように亡きおじいちゃんと孫娘のA.S.嬢さんが腕を組んでほほえむツーショットが会葬者の皆さんの心を和ませて、故人のお人柄の一端がより鮮明になって涙でお別れするのではなく亡きおじいちゃんのご冥福をお祈りすると共にご遺族の皆さんが今後も立派にやっていきますからご安心下さるようにとのお誓いのお式にも相通ずるものと山寺の方丈さんは強く感じた次第!









平成22年8月26日 小学生の坐禅修行
  例年にない猛暑の中、長倉小学校3年生41名と3人の先生が元気にお寺にやってきました。「坐禅」とはどのようなものか、実際にやってみたいという興味と好奇心に輝いたお顔が、山寺の方丈さんのお話に表情豊かに聞き入っていました。「合掌」「叉手」「半跏趺坐」「法界定印」等の基本の所作、そして坐禅堂の進退法を学んで、いざ実践。ふざける子がひとりも出ない、誠に静寂とした清々しい空気が、子供たちひとりひとりの力で出来上がっておりました。長谷寺のお観音さまの見守る中、根を上げる子も出ず、終了したときは活発な小学3年生に戻っていました。先生方と元気にお礼のあいさつをして、学校へと戻っていきました。

  さて、坐禅をしてどんなことを思っただろうか、山寺の方丈さんは興味が湧いてきました。さっそく返事が返ってきました。41名の子供たちが全員感想を送ってくれたのです。その綴りをみていると、「ありがとう」の言葉が自然に出てきました。「がっしょう」「しゃしゅ」「はんかふざ」「ほっかいじょういん」この難しい言葉を覚えてくれて、また坐禅をしたいという子供たちの多さに感激しました。「ありがとう」「ありがとう」君たちが言ってくれた「ありがとう」をまたこちらからも「ありがとう」とお返しします。また、いらっしゃい。今度はまたひとつ新しいことを覚えて坐禅に取り組んでください。


            











平成22年8月30日 「仏像を見せて下さい」といわれたら?
  当山のご本尊さまはお観音さまです。8月24日(火)正午頃、妙齢の女性がお一人で庫院玄関に来られ仏像を見せていただきたいとのこと。

  山寺の方丈さん : お観音さまは「見せもの」ではありません。
               信仰の対象としての仏さまですから
拝むものです。
  来客女性     : お賽銭箱の前で掌を合わせました。
               ですから「
見せて」下さい。

  来客女性は本堂に入って近くからお観音さまのお顔を「
見たい」と言う要望でした。「見せて」下さいではなく、拝ませて下さい、拝観させて下さいとおっしゃるなら、では、どうぞお入り下さいとなります。残念ながらこの女性は仏像は「見るもの」と勘違いされておられ、こちらが「拝むもの」とヒントを出しているにもかかわらず自己主張されることから

  山寺の方丈さん : それでは出直してきていただけますか?
  来客女性     : 仏像を「ホームページ」などに掲載するな!

  と棄てぜりふを置いて帰られました。
  当寺は観光寺院ではありません。全ての檀家さんからの多大の経済的支援によって維持管理されており、全檀家さんの心のよりどころとして拝まれているお観音さまを「見せて下さい」と言われるままにお見せすることは出来ないのです。あくまでも「拝ませて下さい」なのです。

  この来客女性の言動でもご本堂内に案内すべきでしょうか?それとも今日のようにお断りすべきでしょうか?

  檀家さんの皆々さまにお伺いいたします。お返事をお待ちいたしております。


  以上のことに関して山寺の方丈さんは考えていることがあります。明治政府は宗教的には革命政府であると山寺の方丈さんは思っています。何故ならその一つに仏像を「拝む」ことから「見るもの」へと変えたからです。文化財と言う名のもとに拝む対象から美術工芸品の範疇に組み込まれ(明治30年古社寺保存法)、現在に至っています。美術工芸品の保存修理のため、国は宗教団体に多額の公金を助成します。確かに国の助成金無しで文化財を保持していくことは不可能です。この面は大きな評価が出来ますが、反対に信仰の対象としての信心は薄れ、「仏像を見る」と言うことに違和感さえ感じない寺院になり下がり、その結果現在の社会状況を見ると考えられない事件が続発し、人の命が軽く扱われていることに大きく帰因しているように思えてなりません。仏像は「ほとけさま」の命をたくわえており仏像を拝むと言うことは「ほとけさま」から拝まれていることに他なりません。拝む人が逆に拝まれ、お守りされていることが1000年余にわたって培われてきたものです。

  以上のことから山寺の方丈さんは拝ませて下さい、拝観させて下さいと申し出ていただいた方にのみ、お観音さまを拝んでいただいております。


         










平成22年8月16日 新盆のご供養・雑感 
  ことしの2月9日、E.H.おばあちゃんが享年83才にてご逝去。四十九日忌を過ぎて間も無くして、亡きおばあちゃんの義姉のY.O.おばあちゃんが89才でご逝去。両家とも当寺の檀家さんですので弔問にこられる皆さん方はほぼ同じ顔ぶれとなります。

  ところで、亡きお二人の新盆を迎える両家においてはそれぞれに生前のご遺徳を偲びつつ、精霊棚を設けて8月13日夕方に迎火を焚いて御霊をお迎えされました。

  住職の新盆供養のおつとめは弟子をともなって翌8月14日午後2時過ぎでした。先に義姉のY.O.おばあちゃん宅にて新盆のご回向をしました。

  いつもの顔ぶれの方々がおられました。ご供養が終わると次のE.H.おばあちゃん宅への大移動が始まりました。約30名近い方々が山寺の方丈さんを出迎えてくれました。

  これには山寺の方丈さん大感激!例年にない暑さの中での新盆棚経でしたが、この時ばかりは汗がうれし涙に思われて暑く感じなかったことが不思議なことでした。


          

 








平成22年8月1日(日) 母逝きて27回忌の法要!
  享年37才で急逝された母の27回忌を迎えて、やっと亡き母の石塔を建立され、昨日8月1日、藤原町地内の字墓地へ請われるまま出向き、猛暑の中、石塔点眼(てんげん)のご供養のおつとめをさせていただきました。

  この若くして亡くなった母には二男二女、4人の子供さんがおり、当時、長男が高校一年で16才、長女が中学2年生の14才、二男が小学4年生10才、二女が5才でありました。父親は一匹オオカミの土建屋さんで38才でした。

  当時14才であった長女が母亡き後、家事の一切をされて26才で結婚。その後は17才になっていた二女が姉にかわって家事をされ23才で結婚、男の子二人もそれぞれ所帯を持って独立し現在は父親が一人で頑張っています。幸いなことに子供さん4人とも近くに住まいを構えていることから、6人のお孫さんがかわるがわる66才になるおじいちゃん宅にて遊んでおるとか。

  しばし暑さを忘れる程、墓前にて27年間の努力をされた長女と二女のお話から、よくぞ家庭崩壊をせずに家族が一つになってやってこられたことが誠に美しく強い絆を感じたことはありません。

  このご家庭は母の命日の1月15日、かつての成人の日に母の眠る墓地とは約3km程離れている長谷寺に参詣し、その後、四人の子供さん方の家族全員と遅ればせ乍らの
新年会をされているとのこと。新たに母の菩提を願って建立された石塔前にて、亡き母の50回忌を父を施主として執り行うことを誓い合いました。山寺の和尚さんが保証人となられていると皆さん口にしましたが一寸、無理なようですね!(99%無理のようです)



            









平成22年7月31日 若き学生の23回忌にあたり・・・。
  昭和63年8月5日、東京都立日比谷高校から慶應大学経済学部へ進み、夏休み中の大学サークルの部員と共に伊豆の新島にて合宿中、島内での交通事故にて21才の若さで逝去されたS.O.君の23回忌のご法要が少人数の参詣者によって本日7月31日午前11時より長谷寺本堂にてとり行われました。

  参列者の中にS.O.君の祖母Y.O.おばあちゃん(大正4年12月生)94才も孫娘さんに手をかりながらお焼香されていかれました。ご法要のおトーバは2本で、そのうちの1本は施主様でもう1本は亡きS.O.君が新島で合宿されていた民宿の経営者でした。23回忌になることをおぼえていらっしゃって若くして亡くなったS.O.君の墓前にトーバを建てて下さいと送金して下さったとのこと!

  亡きS.O.君の母親が盆と暮れには民宿宅へ何がしらのお気持ちを込めたおしるしを贈られていたとはいえ、山寺の和尚さん一寸、ほのぼのとした気持ちになりました!

  幼子二人をマンションの一室に閉じこめ若き母親が育児を放棄し死亡させた暗い事件があったばかりですのでなおさらです。


            

 








平成22年7月27日 お孫さんからのモーニングコール&おやすみコール
  当寺副総代長・橋庸次氏(84)が急逝されて半年を経ようとしています。80才になる奥さまと二人ぐらしでしたので、日中は市内に住む子供さんやお孫さんたちが交代でやって来て、にぎやかな家庭で近所でも評判のおうちです。

  亡き庸次氏には二男三女の5人の子供さん、13人のお孫さん、9人の曾孫さんたちが県内外におられます。お孫さんは全員、成人されていて一同揃うと盛観です。(写真参照)

  おじいちゃん亡き後、一人ぐらしとなるおばあちゃんに毎日、朝晩2回お孫さんたちから電話がかかってきます。朝の7時は男のお孫さんから、夜7時には女のお孫さんから・・・。13人のお孫さん同士が相談し、ローテーションを組んでのおばあちゃんへの「元気付け」作戦です。

  電話の内容は昨日、今日の身近なごく一般的な会話とはいえ、おばあちゃんにとって元気に生活していこうとする貴重なエネルギーをいただいているようで、お孫さんからの電話を楽しみにしています。

  今年も年末にはおばあちゃんのお家に全員集まってお餅をつくことにしたそうです。最初につき上げたお餅はおじいちゃんのお位牌のあるお仏壇にお供えされるとか!

  当家の年末にされる餅つきはご近所の皆さんがうらやむ程、暮れの風物詩となっています。


         

          

 
故庸次氏のお孫さま全員集合(男孫8人、女孫5人)!
5月22日 祖父庸次さまの百ヶ日忌
於 長谷寺境内








平成22年1月16日
  桜ケ丘にお住まいの大槻吉次・かつ枝さまご夫妻は、毎年大晦日の夜、長谷寺お位牌堂に安置されてある亡き父のお位牌堂の前に年越しそばを供えられます。おそば、天つゆ、かき揚げ、薬味までついていますから見るからに大変おいしそうです!

 生前、亡き父親はおそばが大好きで年越しそばを家族皆で食べることを楽しみにしておられたそうです。亡くなって16年を経ますが毎年欠かさずおそばを沢山もってお寺にこられます。

  この大槻家の奥様、かつ枝さまは美容院を営んでおられることから山寺の方丈さんの老母が寝たきりになった時、お寺の方へ出張してベッドに横たわる老母の髪をきれいにしていただいたことから、山寺の亡きおばあちゃんの仏壇の方にも年越しそばをお供えされます。そればかりでなく山寺のスタッフ5人分のおそばも付いてきます。毎年、山寺の方丈さんはありがたくいただいております。感謝!感謝!

  NHKの紅白が終わるころ大槻さまご夫妻は又、お寺に来られ亡き父のお位牌にお供えの年越しそばのお膳をお下げになります。代わりに小さいお正月のお供え餅が供えられます。

  そして山寺の方丈さん元旦の午前零時に元朝祈祷。ご夫妻はこの一年何ごともなくすばらしい年でありますことを心から念じてお帰りになられます。


         

 








11月15日(日)
  堀ノ内にお住まいの横山浩様の二女亜衣ちゃんが七五三詣りのため、家族の皆さんとお出でになり、本堂にて成長安穏を願ってご祈祷をお受けになりました。ここまではごく一般的七五三詣でありますが、ご祈祷に引き続き亜衣ちゃんが生まれる五年程前に亡くなったおばあちゃん(享年50才)の祥月命日のご供養がなされました。亡きおばあちゃんにもお孫さんの晴れ姿をご供養を通して見ていただこうと思うご家族の心はお見事!ここ一ヶ月余りの世情は驚くばかりの暗い事件の連続であるだけに、この横山家の家風は日本古来の心の美しさ、家族への思いやりが汲みとれます。お位牌堂でのお参りの後、本堂前で記念写真、そして亡きおばあちゃんの眠る横山家のお墓へご参拝されていかれました。
  


           暗い世も  明るく照らす  七五三

 
          本堂前にて            亡きおばあちゃんの眠るお墓にお参り








9月15日(火) 小さなお孫さまの存在について
  9月5日早朝、お寺近くにお住まいのH.E.さんがお亡くなりになりました。享年85才のご生涯でした。
  この方は隣村の藤原馬喰坂のご出身で三男であったことから縁あって当家の後継者として養子に迎えられると同時に、応召にて朝鮮へ出征、終戦と同時にシベリアへ抑留されるも、昭和23年8月に無事復員され農業に従事。その後、寺域周辺の宅地化にともない会社つとめをされながら当地域のあらゆる方面にて活躍。当家の後継者として立派にその務めを果たされた方でした。
  多くの会葬者に見送られる中、昨年4月から共用開始された新しい市の火葬場「いわき清苑」にて荼毘にふされましたが、収骨のとき4才になる男のお孫さん(T.I.君)に上手にお箸を使ってお骨をひろっていただいた光景が家族の絆の強さをその場に居あわせた方々に大きな印象を与えることになり、家庭円満の有りがたさを再認させていただくおじいちゃんのご葬儀でした。亡きおじいちゃんも大満足されてみ仏さまのみもとへ往かれたことでしょう。


       幼(おさ)な孫(ご)に  遺骨ひろわれ  みな和む










「総合的な学習の時間」における職場訪問
磐崎中学1年生 10名来山!
平成21年9月9日 9:00〜10:00

  中学校の新学習指導要領に「生きる力」を育てるため、各教科で学んだことをいかして、総合的に学習する時間として位置づけされていることを踏まえ、磐崎中学1年生の「地域を調べよう」と言うテーマのもと、歴史に関心のある生徒さん10名がお寺にこられ、事前に問われていた6件の質問にお答えする形で長谷寺への職場訪問が実施されました。

  大変、礼儀正しい生徒さん達で、長谷寺への質問事項も自分たちで考えて提出されたとのことですが、住職の返答も中学生に理解できるように配慮したつもりですが、実際には難しすぎた感がいなめません。

  参考までに、質問とその回答を下記にございますのでご覧下さいませ。住職の今後の課題として、小・中学生に理解できるような案内書の作成が必要あると感じています。


磐崎中学校の皆さん


問1 いつの時代に建てられたのか
 
  平安時代初期、大同2年(807)徳一大師によって創建される。平成19年11月9日(2007)、開山1200年大法会が執り行われる。
  磐崎中学校の所在地名は下湯長谷町となっておりますが、地名の発祥が寺名の長谷寺からであります。江戸時代には正しく長谷(ハセ)と読めず「ながや」と読むようになったことから、知識を得るべき情報、収集には常に努力しておく必要がある。

参考文献
◎日本正史、続群書類従(神明鏡)にいわき長谷寺についての記事がある
◎活字本「続群書類従」(いわき市総合図書館蔵)
◎「徳一と最澄」 高橋富雄著 中公新書
◎ふくしま文庫「徳一菩薩」 高橋富雄著 歴史春秋社



問2 何のために建てられたのか
 
  平安時代の初め武官・坂上田村麻呂(758-811)は801年に蝦夷を討伐して東北全体を朝廷の支配下に収めるが、敗者側の立場から見ると大変な殺戮があったようである。怨念のうずまくみちのくの人々への精神的フォローの大きな責務を荷って長谷観音さまをまつる長谷寺が東北各地へ勧請されて建立されていく。お観音さまを拝むことからみちのくの人々は心の安らぎを得て、日本の統一国家形成に大きく貢献することになる。当寺はそのうちの1ヶ寺である。

※長谷観音さまをおまつりする長谷寺は全国に約200ヶ寺建立されたようであるが、現在約110数ヶ寺の存在が確認されており、いわき長谷寺は歴史学上、上位4ヶ寺に数えられている。

  鎌倉時代末、現在のいわき市の約半分を支配下に治めていた地元の豪族・岩崎氏の菩提寺として当寺は再興され、岩崎氏一統の亡き方々のご冥福を念じ、お観音さまの尊像を長谷寺に寄進される(現在のお観音さまは1318造立)。ところが応永17年(1410)に同族の岩城氏に敗れ滅亡。この故に長谷寺も衰微する。現在磐崎と称されるものは磐崎小、磐崎中、磐崎公民館、いわさき荘、位で後は全ていわきとなる。



問3 仏像はどんな意味があるのか
 
  お釈迦さまはおさとりをされてから80才でお亡くなりになるまでの45年間、数えきれない程、多くのおしえを残されました。これらのおしえには時代を越え、民族や国家の垣根を越え、更に地球上のみならず地球を飛び出しても、つまり宇宙空間に飛び出しても成り立つすばらしいおしえがあることが知られています。これらのおしえを私たちの苦しみ悩む心に目に見える形で理解できるように仏典から仏師が苦労して作り上げられた仏教哲理の具体的表現の収束形が仏像です。それ故、仏像は仏教真理の凝縮されたものですので欧米人が言うところの偶像崇拝にはなりませんのでご注意下さい。(仏像を拝むと言うことは真理を拝んでいると言うことになり、反対に仏像の方から拝まれるような生活を常日頃、心掛けることが仏教徒としてのつとめになります。)


問4 町の人とのかかわり(行事など)
 
  毎年8月9日は豪族・岩崎氏によって長谷寺に寄進されたお観音さまの例大祭にて特に昭和58年より大祭のイベントを兼ね、更に亡き方々へのご供養の意味を含め長谷寺墓地内の中央にて打ち上げ花火を実施して参りました。年々打ち上げ数も多くなり、常磐地区内における夏の風物詩ともなっておりましたが、都市計画法により寺域全体が第一種住居専用地域に指定を受けて、且つ消防法等の規制から止むなく平成18年を最後に23年間続けてまいりました花火大会は終わりましたが、今年の夏にも花火大会の問い合わせが多くあり、地域住民の心に熱い思い出が残っております。
  更に東北大学名誉教授・高橋富雄博士を講師に招き、寺子屋講座を平成13年4月より同14年3月迄毎月2回計25回、平成17年4月から同年11月迄計7回、合わせて32回の歴史学上のコ一さまのひと、おしえ、がくもんについての講座を開催、市民のみならず県内外の歴史愛好家が聴講、この講座の内容は平成18年11月に合本コ一菩薩道として歴史春秋社より出版されています。



問5 仏像はどこから伝わったのか(シルクロード)
 
  当初、仏教では仏像は存在しません。偉大なるお釈迦さまの尊像を拝するなど考えも及ばぬことであり、直接お釈迦さまのお教えが心のともしびとなって支えられてきました。時がすぎ去ってお釈迦さまの思慕の念深まりお釈迦さまの遺徳を讃える証しとしたストーパー(円石柱→相輪)、法輪、仏足石が生まれ礼拝の対象となる。これらを踏まえお釈迦さま滅後、約500年を経て紀元1世紀頃、インド西北ガンダーラ(現・パキスタン)とインドの中部のマトゥラーの地域で仏像が出現されました。当然ガンダーラの仏像がギリシャ彫刻の影響をうけていたと考えられています。仏教発祥の地インドは仏像は石像でありますが、日本では当初金銅仏(こんどうぶつ)、乾漆像(かんしつぞう)を経て木造に到ります。日本の最古の歴史書「古事記」もギリシャ神話の影響を受けているという見解もあることから、シルクロードの存在は大変大きいといわざるを得ません。ともかく仏像は信仰のよりどころとして拝まれています。


問6 この寺でほかの寺にないいい所
 
今まで考えたこともありませんが、この長谷寺の歴史が開山(かいさん)以来、明確になったこと。
平城天皇ゆかりの寺であったこと。
長い歴史の中で浮き沈みが何度もありながら廃寺にならなかったこと。
当寺の檀家の皆さんが、この長谷寺を誇りに思ってくださること。
寺域全体(約1万坪)が、年間を通し常にきれいに整えられていること。



平成21年9月11日
磐崎中学校の皆さんから御礼状が届きましたので、その内の一通をご紹介いたします。

長谷寺住職様
                                 1年○組  S.K.

拝啓、季節も夏から秋にかわりつつあり風もつめたく感じる季節となりました。
  このたびは、ぼくたち総合学習の地域調査学習のために大事なお時間をとっていただき誠にありがとうございます。ぼくたちの質問6つに答えるために大事なお時間をけずり考えてくださりありがとうございます。参考文献を調べてくださりありがとうございます。
  教えて下さったことをしっかり新聞にまとめられるようにがんばります。
  このたびは誠にありがとうございました。

平成21年9月10日
                                        S.K.
長谷寺住職様











6月7日(日)
  ことし小学1年生になったDちゃんは毎週日曜日の午後、両親と一緒にお墓参りにいらっしゃってご本堂、お位牌堂を参拝後、お帰りの際「十句観音経」の一文字のお写経をされていかれます。ここまでは当寺にとってごく普通の参拝となりますが、ご本堂を出られてDちゃんのおばあちゃんが永眠されておられる墓所に到着されるや、Dちゃんを含む家族3人でお墓掃除をすることを常としています。

  お父さんは石塔を、Dちゃんは石塔の外柵等を浄巾でふき掃除です。その間お母さんは、お花やお水をお供えします。このような一連のお墓参りを約3年程継続されており、たまたまこのご家族と墓地内にて遭遇された方々は一様に驚かれますが、小学1年のDちゃんにとって大好きだった亡きおばあちゃんの背中を小さなお手々で肩たたきされているような思いで一所懸命、ふき掃除をされて行かれます。山寺の方丈さんはこのDちゃんの将来を非常に楽しみにしております。

         
    あじさいの 和む心や 墓参り











4月16日(木)  母娘、実は嫁姑!
  4月13日未明、Kさん宅のおばあちゃんが享年94才にてお亡くなりになりました。

  実はこのご家庭、家庭円満の誉れ高くご近所でも評判のお家でした。

  今回、大往生を遂げられたYおばあちゃん、日頃のお買物などでお嫁さんJ子さんとスーパーに出向くと、よく母と娘に間違われることが多く、亡くなったおばあちゃんは間違われることを誇りとしていました。今年に入って近くの病院へおばあちゃんが入退院を繰り返しましたが、病院の看護師さんからもおばあちゃんの娘さんと間違われることがしばしばあったとのこと。

  娘同様のJ子お嫁さんに最期を看取られていかれたこと、おばあちゃんも大満足されておられたことと山寺の方丈さんは思っております。

         
  義母看取る 娘に見られて 感無量!











4月12日(日)  音符の飾りのランドセル
  長谷寺の周辺も少子化の傾向が進み、小さなお子さまのおられる家庭が少なくなってまいりましたが、この4月12日(日)、午前9時頃、町内の檀家さん、Mさんがランドセルを背にしたお孫さんと一緒にご参拝されていかれました。

  お孫さんのMちゃんが小学校一年生になられた姿をご先祖さまにご覧いただくことと、六年間無事に過ごせますようにとの祈願のご参詣でした。

  お孫さんのピカピカの「ランドセル」は○○○ランドセルといって音符の刺繍のはいった特注品だそうで、「ランドセル」をおろして中まで見させていただきました。中は音符の模様の羅列に飾られて豪華そのもののランドセルでした。

  一年生Mちゃんのママは学校の音楽の先生でピアノの上手な女性です。かつてママの結婚披露宴でピアノ演奏を聞かせていただいた折り、列席者から大きな拍手を頂戴していたことを思い出しました。

  きっとこの春一年生になられたMちゃんも将来すてきなピアニストになられうよう期待しています。いつかママとMちゃんの連弾で本堂での演奏会が出来るといいなぁーと、山寺の方丈さんは夢を見ています。

             一年生  音符が踊る ランドセル


        










4月4日(日)  結婚披露宴に列席して
  当寺の年2回の行持(ぎょうじ)にはお店を閉めて典座寮(てんぞりょう)(お台所)のご奉仕をいただいているOさんの次女、Y子さんの結婚披露宴にお招きをいただき久し振りにはなやいだお祝いの席に就かせていただきました。

  新婦のY子さんは昨年正月に入籍、新郎の父の病気等で止むなく披露宴を延期される中で昨年8月末に長男Kちゃん誕生。本来なら新郎の地元にある産土神(うぶすながみ)へ詣でるところ、初寺詣り(はつでらまいり)と称してか、Oさんの菩提寺である当長谷寺ご本堂でご祈祷、Kちゃんの成長安穏をご祈念させていただきました。

  このようなご縁から山寺の方丈さんの列席となった次第。披露宴は新郎の地元、双葉郡浪江町の大きな結婚披露宴会場にて大勢の皆様の列席の中で執り行われました。

  午後2時開宴すれすれに方丈さん到着、案内されるままに席に着いて席次表を見ますと、昨年生まれた長男Kちゃんの名前は席次表には記載されてありません。赤ちゃんのお誕生は伏せてあるのかなと思案する間もなく、高らかに音楽が流れる中、会場のライトは消され新郎新婦がサーチライトを浴びてご入場!

  何と昨年生まれたKちゃんは新郎の胸にしっかりと抱かれて大きな拍手に迎えられてのご登壇となった次第!

  この光景をまの当りにして方丈さん大きくうなずき一安心!!

  4時間近い長い長い披露宴も前もって請われていた山寺の方丈さんの三本締めをもっておひらきとなりました。

         めでたしや  三人一緒に  ことほがれ

          










3月25日(水)  春季彼岸会に関して
  春季彼岸会(しゅんきひがんえ)も3月23日にて無事終わることができ、多くの檀家さまの参詣をいただき、厚くお礼申し上げます。
  お彼岸中、大変うれしく思うことが二つありましたので記します。


その1
 お彼岸の中日(3月20日)は早朝よりご参詣される方が大変多く、午後一時頃まではご回向(えこう)が休みなく続き、ご本堂は木魚の音がリズミカルに響きわたっていました。当日の午後4時頃、お孫さまの介添えを頂き乍ら、一人のおばあちゃんが杖をついて本堂・お位牌堂を参拝され、お焼香の後、お孫さまに介助されるままにお位牌堂を出られました。なんと、おばあちゃん杖なしで歩けるではないですか!
  お位牌堂をお参りされて気分が大変よかったのでしょう!ひとときでも、杖のない歩行が出来たことは何よりですネ。

           春彼岸  杖を手にせず  寺詣り


  忘れられた杖は、後でお孫さまが取りに来られました。

            


その2
  数年前、いろいろなことがあって離婚された檀家さんがおりました。さる2年前、夫の実母が逝去されたが永年、家族としておられたお嫁さんが参列されないことは淋しい限りでした。
  昨年の亡母さまの壱周忌頃から復縁の兆しを感ずることが出来たことから、この彼岸会に参詣されたご主人さまにその旨、尋ねたところ。はにかみ乍らも山寺の方丈さんの思った通りでした。イヤ、よかったですネ。いやなことが多い昨今、うれしいことはいいですネ。この秋の亡母さまの三回忌はよりをもどした奥さまのお料理にて長谷寺集会所にて淨斎(じょうさい)が設けられることになりました。

           もと妻の 元の字とれし 春彼岸

















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